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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和56年(ネ)3号 判決

控訴人

甲野花子

右訴訟代理人

渡部信男

被控訴人

往友生命保険相互会社

右代表者

千代賢治

右訴訟代理人

川木一正

松村和宜

被控訴人

日本生命保険相互会社

右代表者

弘世現

右訴訟代理人

三宅一夫

坂本秀文

山下孝之

竹内隆夫

右訴訟復代理人

長谷川宅司

主文

本件控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。控訴人に対し、被控訴人住友生命保険相互会社は金五四九万五〇〇〇円、被控訴人日本生命保険相互会社は金二一三四万五〇〇〇円及びこれらに対する昭和五三年八月二日から支払ずみまで年六分の割合による金員をそれぞれ支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴人ら代理人はいずれも主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠関係は、次のとおり付加するほか、原判決事実摘示と同じであるからこれを引用する。(ただし、原判決六枚目表五行目の「下野一夫」を「下野一雄」と訂正する。)

(控訴人の主張)

(一)  本件事故の直前に謙三が訴外中島勇市に対し、平地を歩いているときも坂道を歩いているように感じる旨身体の不調を訴えているところからみると、謙三は本件非常階段の三階又は二階の上部から降りる際、坂道を登るような気分になり、階段上部付近でから足を踏んで足をもつれさせ、その拍子に下り階段を一気に立姿のまま飛び降りたが、本能的に踊り場の壁面部分に激突するのを避けるべく、たまたま開いていた窓から飛び出したのである。その際謙三は両手を広げて窓の両側を掴んだが、止まることができず、「アアッ」と驚ろきの声をあげて頭を下にして窓外に落下し、地上の鉄蓋に頭部及び背骨を激突し、頭部を非常階段側にし仰向けに倒れて即死したのである。

謙三の死体に存した左右上肢の外傷ことに上肢左側裏挫創は同人が窓の両側を掴もうとしつこれに激突した際に生じたものであり、また、右膝下挫創は窓の下枠に衝突した際に生じたものであつて、いずれも本件事故が右の態様で発生したことの証左というべきである。

(二)  仮に、本件事故が謙三の自殺によるものであるとすれば、謙三は当時普通の皮靴と同様の固い皮製のスリッパを履いていたのであるから、窓枠に登つた際の疵がついている筈である。しかるに、本件事故直後に調査したところその形跡が存しなかつたのである。また、自殺であれば、当然死を覚悟しているのであるから悲鳴をあげるはずがない。謙三は予想外の事故で窓外に転落したからこそ前記の悲鳴をあげたのである。

自殺する者はどんな高所から飛び降りる場合でも必ず足を下にして飛び降りている。しかるに謙三は頭を先にして落下し、頭部を地面に激突させているのであつて、このようなことは自殺の場合には起りえないのである。謙三の死体の状況からみても、同人は控訴人主張の態様で窓下に落下する際腹部を窓枠の下部に引掛け、あたかも鉄棒の前回りのように半回転し頭を非常階段側にし、足を向う側にした形で逆さまになり頭から落下したものとみるべきであつて、謙三の死亡が自殺によるものとすると、右死体の状況等が矛盾するのである。

(三)  また、謙三が墜落した階段は三階の階段から連続している二階の同方向の下り階段である可能性がある。そうであれば、踊り場正面の窓下の壁面部分は床面から僅か七〇センチメートルしかないのであるから、謙三が控訴人主張のごとく階段を立姿のまま落下したとすると、窓を飛び越えて窓外に落下することはなおさら容易であつたのである。

(四)  以上のとおり、本件事故現場の状況等からみて本件事故を謙三の自殺によるものと認めるべき根拠は全く存しないばかりかむしろ謙三の不慮の事故によるものと認めるのが相当な状況というべきである。

のみならず、本件事故当時、謙三はその職責遂行についても、また家庭的にも精神的に過重な負担はなく、また健康状態も良好であつたのである。事故当日における執務状況も平常と異るところがなかつたのであつて、自殺をしなければならないような動機が全然見当らず、もとより遺書のようなものも残していないのである。

(被控訴人住友生命の主張)

被控訴人住友生命との間の本件生命保険契約における被保険者である謙三の死亡事故は、本件事故現場の状況、死亡の態様からして、同人の意思に起因する以外に発生する余地のないものであることが明らかである。控訴人の前記主張はいずれも合理的根拠を欠くものである。

(被控訴人日本生命の主張)

(一)  被保険者謙三の死亡は、自殺か同人の重大な過失に基づくものであり、災害死亡保険金の支払免責事由に該当する。

(1)  本件非常階段の状況は、原判決認定のとおりであり、階段、踊り場、窓の状況、位置関係からみて、謙三が自分の意思で窓枠に上らなければ、その窓から下に転落することは不可能といわなければならない。しかるに、控訴人は、階段を降りる際に足を踏みはずして、勢い余つて窓外に転落した旨主張している。

しかし、仮に、階段で足を踏みはずしたとしても、その後の危険防止については、現場の状況からして窓から外に飛び出すことを防止することを一番に考えるはずであり、右窓からの飛び出しを防止することは簡単な状況である。しかも床から約九〇センチメートルの高さに窓が設置されているのであり、足を踏みはずしたとすれば、窓際の壁に激突し、足に大きな傷害を負うはずであり、かつスリッパが脱げてしまうと思われる。また、窓からの飛び出しを防ごうとしたが、力足りず飛び出したとすれば、ほとんど外壁と離れていない場所に転落するものと考えられ、本件転落後の状況とは一致しないのである。

したがつて控訴人の転落状況についての主張には無理があるといわなければならない。

(2)  次に控訴人は、謙三が転落する際悲鳴をあげており、自殺者が悲鳴をあげるはずがない旨主張している。しかし、そもそも自殺をする者が声を出さないとの前提が疑問であるのみならず、〈証拠〉によれば、「ああっ」という声がしたので後を向いたら謙三が転落していたというのであり、一方同じ目撃証人である下野一雄は、「あつー」という声は、謙三が転落していくのを正面で見ていた自分が驚いて発した旨証言しており、謙三が声を発したということはできない。

(3)  控訴人は自殺の動機がない旨主張している。しかし、謙三には、慣れない選挙管理事務という職務を担当し、激しい選挙戦が予想されて何かと神経を使わざるをえない状況にあり、相当疲れていたと思われ、また、謙三の妻である控訴人には精神的に不安定なところがあつたということであり、右職務上の悩み、健康状況、家庭の悩みが自殺の動機となつても不思議はない。

(4)  控訴人は、謙三の死亡前の行動に変つた様子がなかつた旨主張している。しかしながら、自殺の決意をした者は、むしろその直前は冷静な行動をとると考えられるのであり、変つた様子がなかつたとしても自殺を否定する証拠とはならない。

(5)  謙三の死亡については、事故直後警察が調査した上、自殺であるとの結論に達しているのであり、警察の右結論は尊重されるべきである。

以上によつて明らかなように、謙三の死亡は、自殺によるものと推認することができ、仮に自殺でないとしても窓から転落しているのであるから、現場の状況からして、窓枠から相当身を乗り出すか、窓の上に乗るかしなければ転落することはなく、謙三に重大な過失があつたものといわなければならない。

(二)  本件のごとき、自殺による免責の主張に関する立証については、いわゆる一応の推定の理論が適用され、自殺を推認させる外形的事実が存する本件については、自殺の一応の推定をうける。

(1)  生命保険契約において、支払免責事由は一般に保険者側に立証責任があると考えられており、従つて、通常は自殺の立証責任も保険者側にあるというべきであるが、自殺の立証についての訴訟法的衡平の観点及び生命保険契約の支払免責条項の法目的についての実体法的衡平の観点に照らして、支払免責事由である自殺の立証については、一応の推定理論を適用して、保険者側で、死亡の現場の状況、死亡の手段、方法などの外形的情況につき自殺であることの蓋然性の高い事情を主張立証すれば自殺であることが一応推定され、保険金受取人側で自殺を否定する特段の事情を主張立証しなければならないと解すべきである。

ところで、「一応の推定」理論とは、高度の蓋然性をもつ経験則を用いて、事態の客観的事情から、故意、過失あるいは因果関係といつた要件事実を推認する一種の間接証明理論であるが、この一応の推定の理論を適用するに際しては、経験則の蓋然性のみを決定的基準とするのではなく、次の点を考慮しなければならないと解すべきである。まず、人間の認識能力及び証拠収集能力をもつてしては事の真相を十分看破できないときに「一応の推定」が許されるべきであり、この点からして、立証命題の訴訟法的衡平の観点からする吟味が必要である。次いで、右の吟味を経たうえでさらに、衡平の要求に従う必要があり、この点からして、法目的の実体法的衡平の観点からする吟味が必要となる。蓋し、人間の認識能力の不完全性が時と場合によつては、法規の定める内容を無視する危険性を生ぜしめることがあり、また、証明要求を極端に押し進めると、かえつて、法制度の目的を無視する結果になるからである。生命保険契約の自殺による支払免責につき、まず、訴訟法的衡平の観点から吟味すると、死亡者の自筆による遺書でもみつからない限り死亡者の自殺そのものを直接立証することは困難であり、また、自殺であるか否かに関する証拠は、通常被保険者と何らかの密接な関係がある保険金受取人の支配しうる領域にあり、保険者がそれを収集することは困難である。次いで、実体法的衡平の観点から吟味するとき、生命保険契約において、被保険者の自殺が免責事由とされているのは、射幸契約である生命保険契約に要求される善意契約性により当事者間の信義則が強く要請され、また、生命保険契約が不当な目的に利用され、公序良俗に反することを防止しようとするからであり、この当事者間の信義則、不当利用防止の法目的からみて、外形的に自殺である蓋然性の高い場合に、自己側の善意の立証責任を保険金受取人に負担させるのは実体法的衡平に合致する。従つて、生命保険契約の自殺の支払免責条項に関して一応の推定理論を適用するのは妥当である。

(2)  ところで、本件について、一応の推定を受けうる外形的事情が存するかどうか検討すると、本件の転落現場の状況からして謙三の自己の意思が加わらなければ転落の可能性はなく、自殺であることの蓋然性の高い外形的事情があるといえるから、謙三の自殺が一応推定される。他方、謙三の自殺を否定する特段の事情については、前述のとおり認めることはできないのである。

したがつて、謙三の死亡は自殺によるものであると認定して問題はないといわなければならない。

(証拠)〈省略〉

理由

当裁判所も原告と同じく、控訴人の被控訴人らに対する本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却すべきものと判断する。その理由は、次のとおり付加するほか、原判決理由に説示するところと同じであるからこれを引用する。

(一)  控訴人は、謙三が墜落した窓は、原審で主張した珠洲市役所庁舎西側裏非常階段の三階と二階の間にある踊り場の窓からではなく、これに連続して二階から一階に向う中間にある踊り場正面の窓からである可能性がある旨主張するので、以下検討する。

まず〈証拠〉によると、右両名は右非常階段建物の外にある駐車場を歩行中たまたま右非常階段の窓から頭を下にして落下してくる謙三を目撃したものであるが、謙三の落下した窓がいずれであるかまでは現認しておらず。他にこれを確認した目撃者が存しなかつたことが認められるから、謙三が二階から一階に向う中間にある踊り場正面の窓から落下した可能性を直ちに否定することはできない。そして、弁論の全趣旨によると、右踊り場に設置されたサッシ窓の下枠の位置は床面から約七〇センチメートルの高さであつて、三階と二階の中間にある踊り場のそれが約九〇センチメートルであるのと比較して低い位置に設けられていることが認められる。

しかしながら、〈証拠〉を総合すると、三階と二階の中間にある踊り場の窓の下枠の位置はその北側地上から7.58メートルの高さにあり、二階と一階の中間にある踊り場のそれは前者から約三メートル低い4.5メートル程度の高さであると推認されること、これに対し、謙三の死体の存した位置は右階段建物の北側壁面から北方に1.72メートル離れた地点に設置された鉄製マンホール蓋附近を頭部とし、その北方を足部として仰向けになつており、同人の履いていた皮製スリッパは同人の爪先から脱落し、その周辺に散在したこと、本件事故直後には三階と二階の中間にある踊り場に設置された前記窓は三階から見て右側部分が開放されており、右窓の位置と謙三の死体の存した状況が符合すること、本件事故直後にその現場の状況を見分した警察官は謙三が右開放されたサッシ窓の敷居を乗り越えて転落したものと判断していること等の事実が認められ、右事実並びに前記認定の事実(原判決理由引用)を併せ考えると、謙三の落下した箇所は三階と二階の中間にある踊り場の右開放されたサッシ窓であると推認するのが相当である。

控訴人の右主張は採用することができない。

(二)  次に、控訴人は、謙三は転落する際に悲鳴をあげているが、自殺であるとすれば当然死を覚悟しているのであるから悲鳴をあげるはずがない旨主張するが、〈証拠〉によれば、同人が右非常階段の窓から落下してくる謙三を目撃し、驚愕の余り、「ああっ」という大きな悲鳴をあげたのであつて、謙三は落下の過程において声を出していないことが認められ、右認定に反する〈証拠〉は措信することができない。そうすると、控訴人の右主張はその前提を欠くものであつて、採用のかぎりでない。

(三)  以上のほか、控訴人の当審における前記各主張にかんがみ、当審で提出、援用した各証拠をも総合して審究するも、前記認定・判断(原判決理由引用を含む。)を動かすに足りない。

よつて、右と同旨に出た原判決は相当であつて、本件控訴はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(黒木美朝 川端浩 松村恒)

《参考・第一審判決理由抄》

一 請求原因1及び2の事実は当事者間に争いがない。

二 被告らの抗弁について判断するに、抗弁1の事実は当事者間に争いがない。

そこで、本件事故が謙三の故意又は重大な過失により生じたものか否かについて検討するに、〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

1 本件非常階段は、幅約九四センチメートル、各段の高さ約一七センチメートル、各踏段の幅約二八センチメートルのコンクリート造の階段で手摺りはなく、三階床面から謙三が転落した窓のある踊り場床面まで段数にして一〇段あり、その勾配は約三五度である。右踊り場は幅約2.05メートル、奥行約1.05メートルの広さがあり、その北側(階段の正面)壁面部分には床面から約九〇センチメートルの高さのところに謙三が転落したアルミ製サッシ窓が設置されている。右窓は、縦約九五センチメートル、横約1.82メートルの左右引戸式の窓で二枚のガラス戸がはめ込まれており、ガラス戸を片側に引き寄せた場合の右窓の開放空間は縦約九五センチメートル、横約八五センチメートルの広さのものとなる。右階段の構造、踊り場の状況、窓の位置等からすると、仮に人が右踊り場に向かつて階段を降りる際に足を踏みはずすなどしたとしても、そのまま勢い余つて窓外に転落するなどということはおよそ不可能な状況にある。

2 謙三は、○○市の職員で、当時、選挙管理委員会書記次長として選挙管理事務についての事実上の総括者の地位にあつた。事故当時は、ちようど昭和五三年七月二〇日告示予定の○○市長選挙をひかえ、選挙管理委員会としてはその準備作業の真つ最中にあつたが、謙三は同年四月右書記次長の職に配置換えになつたばかりで、未だ必ずしも選挙管理事務に十分精通しておらず、同人にとつて右市長選は右職務についてから初めて迎える大きな選挙というべきものであつた。しかも、右市長選は、告示前から現職と前県会議員の二候補の対立ということで激戦が予想されており、選挙管理事務の担当者としてもその事務の処理にあたりなにかと神経を使わざるをえない状況にあつた。

3 本件事故当日、謙三は、いつもと特段変わつた様子もなく出勤し、事務を執つていたが、午前一〇時五〇分ごろ、原正平なる男が来訪し、立会演説会の方法等についての申入れを受けた。謙三は右申入れに対し説明していたが、これに納得しなかつた原は、謙三に対し、後日訴訟にするかも知れない旨告げ、立ち去つた。その後、謙三は、市庁舎三階のタイプ室に行き起案文書のタイプを依頼したのち、同階の総務課に立ち寄り、中島勇市と雑談したが、その際、謙三は、同人に、最近は夜眠れず疲れる旨述べていた。右雑談を終えた謙三は、総務課を出て、本件非常階段出入口付近で右階段を昇つてきた奥野谷純子とすれ違つたのち、まもなく、本件事故の発生となつたものである。事故直後、謙三の転落した窓は、階段から見て左側にガラス戸が引き寄せられており、右側部分が開放状態となつていた。

なお、謙三の死亡について捜査にあたつた○○警察署は、その後、本件事故を謙三の自殺によるものとして処理している。

右認定した事実からすれば、本件事故は、選挙管理事務の要職にあつたが謙三が市長選挙を目前にひかえ、精神的肉体的疲労から発作的に窓から飛び降り、自殺を企てたことによるものと推認するのが最も自然であるというべきであつて、謙三には生前自殺の素振りがなく平素と特段変わつた様子も窺われなかつた旨の証人〈省略〉の各証言も、本件事故現場の状況等に照らし、右推認を妨げる事由とはなりえず、他に右推認を動かすに足りる証拠はない。

そうすると、本件事故は謙三の故意により発生したものというべきであるから、被告らの抗弁は理由があり、原告の本件各保険金請求は失当である。

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